苦しくても頑張る。頑張った結果認められる。と思うのが、これまでのサラリーマンの考え方でした。
しかし、最近では頑張ることをせず、認めてもらえないから辞めてしまうという人たちが増えています。
この考え方のギャップが、多くの企業人が持つ「ゆとり世代」への不信感に繋がっているのだと思います。
「ゆとり世代」は結果だけでなくプロセスも誉められて育ってきた
「ゆとり世代」と我々の世代で根本的に違うことと言えば、育てられ方です。昔は父親が厳しく、母親も忙しくしていたので、親に誉められるということがほとんどありませんでした。
誉められるとすれば、勉強を頑張った結果、成績が良かった時や、部活を頑張った結果、大会などでいい成績を残したときなど、ほとんどが結果を残したときだけでした。
努力することは当たり前であり、努力は自分のためにしているのだから誉められることはない。というのが当時、多くの家庭での教育方針だったように思えます。
しかし、誉めて伸ばそうという子育て指南が広まり、一人っ子の家も増えてきたせいか、努力するという過程も誉める家庭が増えてきました。
すると、誉められて育ってきた若者たちは、誉められることが当たり前なので、努力していることを認めてもらえない会社や上司に対して不満を持つようになったのです。
誉めて伸ばした結果、指摘に対する耐性がない
人は誰もが自分のことを認めてもらいたいものです。指摘をせず、誉めるだけであれば、相手に嫌われることもなく良い関係を保つことができるでしょう。
そのため、誉めて伸ばすという方法を誤解し、何でもかんでも誉めて済ませてしまい、どうやって怒ったらいいのかわからない親が多いのが現実です。
そうした結果、普段誉められるだけで指摘をされてこなかったことにより、他人からの指摘に対する耐性が弱まってしまった人が増えてしまいました。
すると、指摘する人は認めてくれない人。誉める人は認めてくれる人という誤った認識を持ってしまっているため、どんなに厳しく指導したところで、その言葉は届かないのです。
過程は誉めるのではなく感謝する
何でもかんでも誉めるというのは相手のためにならないということを理解しなければなりません。誉められたい人は結果が出なくても誉められたことに満足してしまうからです。
私は、部下や後輩に対して、努力や過程を認めるには誉めるよりも感謝することを心がけています。「頑張ってくれてありがとう。 」「努力してくれていることを感謝しているよ」そして感謝を伝えた後、こう話しています。
「指示したことを達成しようと努力していることは感謝している。でも過程は過程であり、それだけでは認められない。認めるのは結果が出てからだ。」
そして、少しでも結果が出た時には「よく頑張った!」と褒めるようにしています。
昔の上司にありがちなのは、少しの結果では満足せず、指示したことが100%できていなければ認めてくれないことです。それではモチベーションを維持するのは難しく、褒められて育ってきた世代はついてきてはくれません。
結果が足りなければ、褒めた後さらに結果が出るにはどうすればいいかと、アドバイスをしてあげればいいのです。そしてまた、過程を感謝して結果を褒めることを繰り返します。
認めてくれない人の言葉は届きませんが、少しでも認めてくれる人の言葉は素直に聞くことができます。人間関係がインセンティブになっているからです。
まとめ
人は他人から認められたいものです。特に今の若者は「ゆとり世代」かかわらず、その傾向が強い傾向にあります。
しかし、褒める側となる上司や先輩という立場の人たちは、褒めることは甘やかすことになると考える世代の人たちです。
どちらかが歩み寄って理解をしなければならないのであれば、私たち上の世代の人たちなのです。大きな器で、受け止めることができれば、きっと期待に応えてくれることでしょう。
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