死ぬ前に後悔したくない20のことの中で、以下のような言葉がありました。
他人は自分が思うほど自分のことを考えてはいない。そんなことばかり気にして無駄なエネルギーを使うのはもったいない。
人は他人の目を気にするあまり、人の評価を気にしたり、かっこ悪いところを見られたくないといった羞恥心で行動できなかったりします。
しかしながら、他人はそんなあなたのことをそれほど見てはいません。考えてみてください。あなたは他人のことを細かく見ていますか?
人の記憶は忘れやすい
たとえば、1週間前に会った友人の服装を言えますか?おととい友人が頼んだランチメニューを言えますか?
その時、その瞬間は周りの人も見ているかもしれませんが、それをいつまでも覚えているほど他人に興味がある人はほとんどいません。
そもそも、自分のことでさえどこまで覚えているか疑問です。
1か月前に友人と話した内容をどこまで覚えていますか?2週間前にどんな服装だったかを覚えていますか?
人の記憶は忘れやすいようにできています。好きな人のことや好きな映画、好きな音楽のことは覚えていても、全くの他人のことをいちいち覚えてはいません。
あなたの努力は他人には伝わらない
あなたがどんなに努力をしたとしても、他人はあなたの努力をすべて見ているわけではありません。
また、どんなに努力をしたところで、努力をした行為というのは自分のためにやるもので、他人にとっては何のメリットもありません。
「こんなに頑張っているのに、評価されない!!」と思っている人がよくいます。しかしながら、物事の評価は結果に対してするものであり、努力に対してするものではありません。
他人にとって、努力は何の価値もありません。結果だけが価値があるものなのです。
期待するほど見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない
ただ、だからと言って悲観することはありません。サイバーエージェント社長の藤田氏は著書の中で「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」ということを言っています。
この言葉こそが、他人が人を見ていることに対することをすべて語っています。
自己評価というのは、殊のほか難しい。人は自分の努力を、誰かにわかってほしいと思う。自分に対し甘く、すぐに過剰な期待を抱く。期待が外れると、今度はもうやめてしまおうかと考える。
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」という考え方は、ぶれやすい心に安定をもたらす。それは過不足のない、とても現実的な考え方だ。
自己評価というのはどうしても甘くなってしまいがちですので、自分がどんなに頑張ったと思っていることでも、他人にとっては全然足りないと思われていることもあります。
しかしながら、努力が全く評価されないわけではありません。まれにあなたの努力を評価してくれる人も現れるでしょう。
しかし、努力を評価してくれる人というのは、あなたの努力自体を評価しているのではなく、その努力を続ければ、今は結果がでなくてもいずれ結果を出すのでは?という期待が込められているのです。
努力は常に評価されるものではなく、期待される可能性を秘めているだけなのです。
まとめ
他人の目というのは、いつになってもどうしても気になるものです。自分が他人の目にどう映っているのかとか、自分のことを理解してくれているのかなど。
しかし、他人の目を気にする生活から抜け出すことができれば、もっと自由になることができるのです。
たった一度の人生、もっと自由に生きてみてはいかがですか。
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