Koyama Log -コヤマログ-

ビジネスハックやマインドハックを学んでサラリーマン脳からビジネス脳へ変換する

学校教育に期待するのはムダ!日本の学校は「ある人間」を作ろうとする養成所である。

      2014/04/09

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N866_kokubantokabin500私たちの時代の学校教育は、「詰め込み教育」だの「偏差値重視」だの言われていた。

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学校は勉強を教えるところではなく、企業や組織で使いやすい画一的な人間を作る場所

社会で求められるのは使いやすい兵隊。

そもそも学校というのは表向きは勉強を教えるところということになっています。しかし、実際は社会に出たときに役立つ人間に教育する場所としての位置づけのほうが高いというのが実情です。

例えば、ある一部の人をのぞき、大半の人は学校教育が終了すると、どこかしらかの企業や組織に属すことになるでしょう。すると、企業や組織としてはイチイチ面倒な個性的な人よりも、命令に従い、使いやすい画一的な人が欲しいわけです。結果、必然的に社会としてそういう人を学校教育で育てようとすることになります。

社会人であれば心当たりがあると思いますが、企業では様々なマニュアルが存在します。ある人の能力に依存しては、その人がいなくなってしまったら企業として成り立たなくなってしまうからです。

するとどうするか。会社は、業務をできるだけ誰がやってもできるようにマニュアル化します。業務はそのマニュアルにそって仕事をすることを求められ、誰でも同じ様に仕事が出来る仕組みになります。つまり、マニュアルがあり、命令に従う画一的な人間がいれば仕事が成り立つシステムを作り上げてきたのです。

日本人の集団依存体質は学校で作られる。

子供の頃からみんな同じが当たり前。少しでもまわりと違う子はイジメの対象になり、出る杭は打たれます。個性は否定され、規則正しく歯車の一部となることが正しいこととされてきました。

しかし、個性のない規則正しい社会は真新しいものを産み出すことができません。画一的な人間には大衆的な発想しか生み出すことができず、人種を超えて世界を驚かせるような発想が生み出せません。

そして日本は世界から取り残されていきました。

革新的な発想を生み出すために導入されたはずの「ゆとり教育」

そんな状況から打破するために取り入れられたのが「ゆとり教育」です。「詰め込み教育」をやめ、ゆとりある教育で子供の個性を伸ばそうと考えたわけですが、そのことにより社会がもともと求めてきた「画一的な人間」を育てることが出来なくなっていきました。

それでも本来求めた「個性豊かな人間」を育てることが出来れば良かったのですが、教育方針を決めたお偉方は、そもそもどうすれば「個性豊かな人間」に育てることが出来るのかわかってはいません。なぜなら、方針を決めた自分達は「画一的な人間」に育てられたからです。

じゃあ、どうやってその方針を決めたか。それは、自分達が受けた教育の逆にすればいいという単純な発想からきているのです。

そんな単純な理由で作られた「ゆとり教育」では、本来目的としていた「個性豊かな人間」に育てることは出来ず、「画一的な人間」にすることもできない中途半端な教育となってしまいました。

学校教育に期待せず、自分の意志と努力で自分の道を切り拓いていくしかない。

そして今、ようやく「ゆとり教育」が間違っていたと認めて見直されました。しかしながら被害者とも言うべき「ゆとり世代」はそのまま放置され世間から揶揄されたままとなっています。「ゆとり世代」は誰の助けも借りることができず、教えてもらうこともできず、ただただ被害者のままでいるしかない。

ではどうすればその状況から脱却することができるか。

それは、学校教育に期待できない以上、自ら学び、教え、成長するしかありません。

自分の道は自分で切り拓き、自分の部下や後輩は自ら導いていく。成功者は今も昔もそうしてきたから成功することができ、成功を継続することができたのです。

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