料理が下手な人っていますよね。レシピを見ないで勘で作って下手ならまだいいんですよ。でもレシピを見ても料理が下手な人っているじゃないですか。
そういう人って、不器用とかそういう問題ではなくて、「知ってる」「わかってる」と自分の実力を過信しているからだったりするんですよね。
「知っている」「わかっている」という思考の恐ろしさ
まず、レシピを見ず、勘で料理を作ろうとする人は、レシピを「知ってる」「わかってる」と思っている人たちなんですね。「それぐらい知ってる」という過信から、ちゃんとしたレシピを見ずに記憶と勘で料理を作ろうとするんです。
実際、ちゃんとレシピを覚えているのであれば作れるはずなんだけれども、ちゃんと覚えてないので適当に作ってしまう。だから結局、ちゃんとした料理が作れないんですよね。
「知ってる」「わかってる」という過信が、それ以上の情報をシャットダウンしてしまい、正しいやり方を知ろうとしなくなってしまうんです。
これって、ものすごく恐ろしいことですよね。人の記憶なんて曖昧なので、正しいと思っていることも、実はちょっとづつ本当の事から離れていっているというのはよくある話です。途中で気づくことができれば、修正できるのに、「知ってる」「わかってる」で気づくことを拒否してしまえば、どんどん正解から離れていってしまいます。
過信している人はレシピを渡してもレシピ通りには作らない
「知ってる」「わかってる」という人で、よくあるのが、レシピを無視するということです。
例えば、レシピに「大さじ1杯」と書いてあっても、大さじを使わずに適当な量を入れてしまうんです。水の量も計量カップを使わず適当。調味料も適当なので、材料や作る手順が一緒でも、不味い料理しか作れないということが起こります。
しかし、それでも過信しているので、わざわざ調味料を量るということはしません。量らなくてもできると思いこんでしまっているからです。
仮に奇跡的に美味しい料理ができても、その味を正確に再現できることはありません。結局、そういった人たちが美味しい料理を作れるかどうかは運でしかないのです。
だからと言って正しレシピに頼りすぎてもダメ
根本的に、レシピを知らないとかレシピを見ないというならば、見て作らせればいいので、少なからず救いようがあります。しかし、レシピを見てもそれ通りにしないのであれば救いようがありません。
正しい情報を取り入れることができないのですから、その人自身の考え方が変わらない限り美味しい料理を作ることができません。自分でちゃんと認識できなければ、誰が何をいっても変わらないんです。
じゃあ、レシピ通りに作れればいいのかというと、半分正解で半分不正解だと思います。料理も状況によって全然味が変わったりしますよね。
例えば、2人前のレシピでどうやって3人前を作るかとか。季節や温度、または食べる人によって、美味しいと思う味付けが変わるので、それに対応できるかとか。食材がないときに代用品を使うことができるかとか。レシピに頼る人はそういった臨機応変な対応が苦手だったりします。
確かにレシピ通りであれば、それなりに出来るかもしれませんが、そのレシピがものにできてれば応用できますし、ものにできてなければ、応用がきかないのだと思います。
これって仕事でも同じじゃない?
料理でいうレシピって、仕事でいうところのマニュアルと同じですよね。新人でもベテランでも、同じミスを繰り返す人って、マニュアルを無視するんです。
マニュアルを「知ってる」「わかってる」という認識で仕事をするのですが、結局大事なところでマニュアルを無視するので、同じミスを繰り返します。どんなに周りが注意しても「知ってる」「わかってる」なので、いっこうに改善しません。
また、マニュアルに頼る人は大きな失敗はしないのですが、ただそれだけです。マニュアル以上の仕事もしないので、新しく何かを生み出すことはできません。
臨機応変に対応できないので、新しいマニュアルを作ることもできません。それなりの立場にしかなれず、出世も期待できないでしょう。
料理でも仕事でも、必要なのは基本的なレシピやマニュアルの熟知と臨機応変な対応力なのです。
まとめ
レシピ通りにやらないのはダメ、レシピに頼ってもダメ。じゃあどうしろと言われてしまいそうですが、物事には順番があります。
まずはレシピをマスターするために、レシピ通りに作る。レシピをマスターできれば、そこから応用できるようにする。
応用ができるというのは、それこそ完全にマスターしたということですよね。食材の色、相性などを考慮すれば、似たような料理はレシピなしでも作ることができます。
それと同じように、仕事のマニュアルを完璧にマスターすれば、そこから臨機応変にいろいろな仕事にも対応できますし、新たなやり方や仕事を生み出すことができるようになります。
なんでも基本が大事というわけですよね。
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