子供がハイハイをするようになり、掴まり立ちをしながら歩くようになって、子供と同じ目線で接することが今まで以上に多くなりました。
すると、目線の高さが同じになっただけではなく、気づくことも子供と同じになっていったんです。
目線を下げてみたら気がつくことがたくさんあった
子供と接するときは、目線を同じ高さにするっていうのは子育ての基本ですよね。数ある育児書には当たり前のように書いてありますが、そんなこと読まなくても、愛情を持った人なら親に限らず自然と目線を同じにします。
特にグズったときなんかだと、高い位置からでは目線を合わしてもらえないので、子供の顔と同じ高さまで体を屈めて話さなければ、聞いてもらえません。
遊んでるときも、一緒にハイハイして家中を行進したり、ゴロゴロと転がり回ったり。同じ目線でいると、「あっここは段差があって危ないな」とか、「ここにモノがあるとハイハイするのに邪魔だな」ということに気づいたりします。
今までと目線が変わり、子供と同じになっただけで新しい気づきがありました。
目線を下げてあげたほうがいいのは子供だけとは限らない
で、ふと思ったのが、これって仕事で部下や後輩に接するときも同じなんじゃないかってことです。
大人にとって何気ない日常や家の中でも、子供の目線だと冒険がいっぱいで危険もいっぱいです。同じように、仕事に慣れた人ならどうってことないことでも、仕事に慣れていなかったり、未熟だったりすると、やりづらいことやわからないことだらけなんですよね。
それを上から目線でいると「できて当然」とか「何でこんなこともできないんだ」と思ってしまうんですよね。
最初は周りの環境を整えてあげると結果が変わる
大事なのは子供に対する接し方と一緒で、目線を同じにして気づいてあげることなんでしょうね。すると、はじめての人や慣れていない人では分かりづらい資料やデータだったり、慣れるまで時間がかかるような作業の仕方だったりと、人を改善させるよりも先に周りの環境や状況を変える努力をしてあげればよいことに気がつくことができます。
子供がケガをしないように危ないものを片付けたり、ハイハイしやすいように障害物をどけたり、段差を埋めたりするように、部下や後輩が仕事をやりやすいような環境を作ってあげれば、同じように仕事をこなしてくれるようになるのではないでしょうか。
ただ、それだけでは考える力が身に付きませんし、成長がないので力量に応じて課題を与えてあげます。少しづつ求めるレベルと越えるべきハードルを上げればきっと結果が変わってくることでしょう。
甘やかしすぎだと思われるかもしれませんが、それも愛情だと思えば別に悪いことではないと思いませんか?
まとめ
子供って、手をかけて愛情を注いでいると、ちゃんとそれに応えてくれるんですよね。
四六時中一緒にいる嫁には勝てませんが、それでも休みの日や平日会社にいく前などにたっぷり遊んでいると、遊びたいときにはちゃんと私のところにきてくれます。私を見つけて、笑顔でハイハイしながら近づいてくる瞬間は、本当に幸せだなぁと思ったりします。
部下や後輩も同じですよね。たっぷり手をかけて愛情を注げば、必ずそれに応えてくれるのです。まだ応えてもらえてないのであれば、その愛情が部下や後輩には届いていないので、届ける方法を見直したほうがいいですよ。
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