誰もが一度は、友人や職場の同僚などの愚痴を聞いてあげたことがあると思います。
愚痴を言う人にとって、悪者は愚痴の対象となる人であり、自分の言い分がすべて正しいと思っています。
しかし、例えそれが仲良くしている人であったとしても、その話を鵜のみにするのは危険だということです。
立場によって言い分は違う
愚痴を言う人にとって、相手は悪者なのですから、相手のいいところや正しいところなんてわざわざ言いません。もちろん、自分のミスや間違ったところなど、自分の悪いところもわざわざ言わないものです。
すると、話が一方的に自分の都合のいいように作り上げられてしまうので、受け手にとっては誤解してしまう原因となります。テレビや新聞などと同じで、伝え手側の都合のいいように編集して報道し、世論を動かしているのと変わりありません。
ましてや、聞き手は愚痴をいう人の話を聞こうとしているわけですから、相手の言うことを多くの部分で信用してしまいます。聞き手と話し手の関係が友好であればあるほど、その話の信用度は、どんどんと増してしまいます。
しかし、逆の立場の人の話を聞くと、内容が正反対で、どちらが正しいのかわからなくなるというのは良くある話です。立場によって言い分は違うのですから、愚痴や悪口に本質は見えてこないということがわかります。
口コミサイトや掲示板などの意見もあてにならない
同じようなケースとしてあげられるのが、インターネットの世界で、星の数ほどある口コミサイトや掲示板に書いてある内容の信憑性です。
よく、食べログなどに書いてある口コミが問題となっていますが、書き手の素性も知らず、情報の信頼度も怪しいのに、それを鵜のみにする人が多いことに驚きます。
例えば、お店側に過剰なサービスを要求する人っていますよね。自分は金を払う客なのだからと、店側にあれやこれと要求する客です。
そういう人に限って、できるだけ安くすまそうとケチるものですから、お店側としては迷惑以外の何者でもありません。
そういった迷惑な客を毅然とした態度であしらうのは、店側にしても他のお客さんにしても、当然の対応だと思います。にもかかわらず、それを根に持った迷惑な客は、怒りのまま口コミサイトや掲示板に悪口を並べまくります。
また、ライバル店の評判を落としたいと思っている人であれば、悪口をたくさん並べて評価を落とせば、自分の店の得になりますし、自分の店のコメントを自分で自己演出すれば、口コミで評判の店になることもできます。
真実は自分の判断だけ
大切なのは、他人がどうこう言おうが、最終的には自分の目で確かめるということです。
確かに信用できる口コミは、時間の短縮になりますし、イチから調べる必要がなくなります。しかし、だからといって他人の意見ばかり信じるのも問題です。
また、他人の愚痴や悪口によって悪いイメージを持ってしまうのは、本質を見極めるときには邪魔になるだけです。
他人の話は話し半分に聞き、最終的な確認は自分自ら行わなければ、真実は見えてきません。
口コミなどは情報収集の一部と考え、それだけに頼らず、いろいろな角度からの意見をもとに、本質を見極める力をつける必要があります。。
まとめ
いかがでしたか。人の言うことは、それだけ信頼に値することかを見極めるのが難しいものです。
偏った意見は、特に注意が必要です。一方的な悪口や批判などに振り回されないよう気をつけたいものです。
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