自分の常識が世間の常識とは限らない

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相手とのコミュニケーションがうまくいっていない状況を分析すると、どちらかの言い分で出てくる「普通は…」とか「常識的に…」という言葉。

自分の考えが世間的な一般論で、大多数の力を借りて自分の考えが正しいということを証明したいのかもしれませんが、ちょっと待ってください。

その考えは本当に「普通」であり、「常識」なのでしょうか。

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そもそもそれは本当に「普通」「常識」なの?

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「普通」とか「常識」というのは、それまでの生活してきた環境に影響されるところがあります。日本の常識が世界の非常識であるというのはよくある話で、日本でも地域性によって「普通」「常識」は変わってきます。

同じように、育ってきた環境が違えば家庭の常識が世間の非常識であることもあり、そういった点では会社毎に「普通」や「常識」が違ったり、同じ会社でも事業所や所属する課が違えば、やはり「普通」や「常識」が変わる場合があります。

つまり、自分の考えている「普通」や「常識」が相手も同じ限らないので、それが「当たり前」という考えでは相手には伝わらないのです。

 

仕事ができない人ほど伝達不足を「普通」や「常識」という言葉で誤魔化す

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仕事ができる人というのは、「感じる力」を持っているので、もしかしたらこれでは伝わらないかもということに気づくことができます。それは、相手をよく知る努力をしているからこそ力量を把握することができるのです。

逆に仕事ができない人は自分の仕事で精一杯なので、相手のことを気にかける余裕がありません。よって、自分が「当たり前」と思っていることは相手も知っていて当然と思っているので、あえて伝える必要はないと判断します。

ひどい場合、自分で精一杯になってしまし、伝えなければならないことすらも忘れてしまうことがあります。

そして、「普通」「常識」という大多数の意見であるという力を借りて自分の意見を正当化し、伝わらなかった責任を相手に押しつけてしまうのです。

 

まとめ

「普通」「常識」という言葉は、意識や知識の共有化ができている関係で、はじめて成り立つ言葉です。お互いの意思疎通ができていないのに、暗黙のルールが成り立つ関係ができあがるわけがありません。

そういった状況を無視してしまっては、コミュニケーション不足によるトラブルはいっこうに減らすことはできないでしょう。

共有化できていないことを責任転嫁するのではなく、お互いに言葉が少なくても考えが通じる関係を構築していくことが大切なのです。

 

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