嫁が友達の家に遊びにいくというので、「息子と一緒にお留守番しているよ。」と言うと、喜んで遊びにいきました。
子供を連れて行くと、ゆっくり話もできないですからね。たまにはそんな時間も必要かと。
で、息子と一緒に一日遊んでたんですが、息子が手にして遊んでいるものを見ていて、あることに気がついたんです。
与えたおもちゃでは遊んでくれない息子
家には、今まで人からもらったり、買い与えたオモチャがたくさんあったりするのですが、そのほとんどに興味をもってくれません。他の家の子がどうかはわかりませんが、うちの子に関して言えば、全然遊んでくれないんです。
そういったオモチャよりも、サランラップの芯だったり、ペットボトルだったり、テレビのリモコンだったり、生活の中にあるものを置いておくと、目についたもので勝手に遊んでいます。
それを見て、最初は「買ってあげても全然遊んでくれないなら、もう買ってあげない!」と、イジけていたのですが、「あれ?これって大人に対しても一緒になんじゃないのか?」って思ったんです。
その好意は本当に相手のためなのか
例えば、人のためにあれこれ世話をしてあげたり、手伝ってあげたことって、本当に相手のためになっているのでしょうか。
プレゼントにしてもそうですが、物をあげたり、してあげたということで満足してしまって、相手の望んでいないことを押し付けてしまっていることも、少なからずあると思うんです。
なのに、「プレゼントしてあげたのに……」とか、「~してあげたのに……」とか、相手の気持ちを無視した揚げ句、それを喜んだり活用してくれないことに文句を言ってしまうことって、考えてみれば迷惑以外のなにものでもありません。
そもそも、「してあげた」という言葉が、上から目線で、押し付けがましい感じがします。相手のためにと言いながら、実は自己満足にしかなっていないのであれば、何もしないというのも相手に対する優しさなのかもしれません。
まとめ
結局、息子とはおもちゃではなく、サランラップの芯を、太鼓のバチのようにして床を叩いて遊んだり、洗濯バサミを大量に巻き散らかして遊んだりしました。
相手に喜んでもらうには、相手のことをよく知り、心から接しなければ、何も見えないことを教えられた一日でした。
このまま、お金のかからない子供に育ってくれると、父としてはかなり嬉しいんですけどね…… 笑。
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