人間の負の感情の代表といえば、「恨み」「妬み」「嫉妬」。Facebookを代表とするSNSの普及により、リア充自慢をする人たちに対して、そういった感情を持った経験のある人も多いのではないでしょうか。
実際、私も非常に根に持つタイプの人間なので、そういった感情を抱えながら生きているというのが正直なところです。
本書は、心理学と脳科学の観点から「恨み」「妬み」「嫉妬」の正体に迫っています。
「恨み」の正体
本書の中では、恨みを以下のように定義しています。
「思い出し怒りにとらわれた状態」もしくは、「怒りをもたらした出来事を反芻せざるをえない状態」
誰もが「怒り」や「悲しみ」という感情を持っても、何らかの方法でそれを晴らそうとします。人に愚痴を聞いてもらったり、食べて発散したり、買い物して発散したりと、人それぞれの方法で、その感情を鎮めることができます。
しかし、どんな方法をもっても、鎮めることができない「怒り」がまれにあります。自分たちを怒らせた出来事を何度も思いだし、そのたびにまた怒り続けることってありますよね。
どうしても許すことができない。憎くて憎くてしょうがない状態。まさしくそれが恨んでいる状態です。ではなぜ、許すことができない状態が続くのでしょうか。その理由を心理学の観点から次のように解説しています。
不当な扱いをされた、侮辱された、人格までも否定されるような叱責を受けた…。こうした経験の背景にある不条理さの感覚は払拭しがたいものです。そして、なかなか気持ちの整理がつかなくなるからこそ、怒りが維持されてしまうのです。
恨みは、被害者意識による怒りです。しかも、ちょっとしたことで静まるレベルの怒りではなく、その怒りが続けば続くほど深い怒りとして心から消えにくくなっていきます。
「妬み」と「嫉妬」とは
「妬み」と「嫉妬」は、ほぼ同じ意味で使われることが多いのですが、心理学では二つは異なる感情だとされています。
妬み(envy)は自分の持っていない何らかの好ましい価値のあるものを、自分以外の誰かが持っていて、それを自分も手に入れたいと願うとき、その相手に対して生じる不快な感情のこと。
嫉妬(jealousy)は、自分の持っている何らかの好ましい価値のあるものを、自分以外の誰かが持っておらず、それを誰かが奪いにやってくるのではないかという可能性があるとき、その相手を排除したいと願う不快な感情のこと。
少し言っていることが難しいですよね。簡単に言うと、自分の持っていないものを持っている相手に対して持つ感情が「妬み」で、自分が持っているものを奪おうとしている相手に持つ感情が「嫉妬」です。
例えば、「あの人の持っているものを自分も欲しい!あの人ばかり持っていてズルい!」と思う感情が「妬み」で、自分の恋人が誰か他の異性と仲良くしているのを見て「私の恋人と仲良くしているのが許せない!」と思うのが嫉妬です。
ちなみに、「妬み」は全て悪いものということでもないようです。
というのも、妬みは、価値の高い物を相手が持っているときに得る感情なのですから、自分もそれと同じものを手にしたときにその「妬み」は消えます。つまり、妬み感情から消費が促進され、経済が潤うということがあります。
例えば、最新モデルのスマートフォンやパソコンなどを持っている人がいて、自分はもっとかっこよくて性能がいいものを買いたいとたくさんの人が思えば、景気が上向きます。本来はネガティブであるはずの「妬み」が、社会的な役に立つこともあるのです。
それに対して嫉妬の方は、なかなか根深いもののようです。
嫉妬は、「もの」というよりは、「関係」にまつわる感情です。嫉妬心が強くなるのは、その相手との関係を大切に思っているからです。しかし、悪く言えば依存しすぎている、関係にこだわっている証にもなります。嫉妬深い人というのは、誰かにすがりすぎる傾向があるのです。
最近ではLINEの既読スルーが社会問題にもなっているように、誰かに無視をされると不快に感じるというのも「嫉妬」の一部なのだそうです。
相手から自分が思っていた通りのレスポンスがないことによって不快になるのは、特定の関係にすがり、相手に期待しすぎている状況にほかなりません。その期待が大きければ大きいほど、深い嫉妬として不愉快になっていきます。
では、そうした「恨み」「妬み」「嫉妬」はどうしたら晴らせることが出来るのでしょうか。
「仕返し」「見返し」と「シャーデンフロイデ」
いつまでも消えない「怒り」を晴らす方法のひとつとしてあるのが「仕返し」です。相手にも自分と同じ傷を負わせて、自分と同じ苦しみを味あわせてやることです。
しかし、「仕返し」をしたからといって、怒りが癒されるものでしょうか。きっと同じ傷だけでは満足せず、「倍返し」「10倍返し」でもしなければ満足できなくなってしまうことでしょう。
「仕返し」以外にあるのが「見返し」というものです。侮辱された人間よりも立派になった姿を見せつけてやる行為です。例えば、クビになった会社よりも大きな会社に入って出世したり、フラれた相手よりも魅力的な異性と交際し、幸せになるなど。
社会的地位などを手に入れていつの間にか「怒り」を晴らすのですから、「見返し」は「仕返し」と違って後に引かない純粋な「恨み」の晴らし方のように思えます。
そしてもう一つが、「シャーデンフロイデ」です。これは、自分が手を汚さなくても、他者が傷つくことによって喜びを得る行為。自分とは関係がないところで、他人が失敗したり不幸になったこと対して「ざまを見ろ」とか「いい気味」と思うことです。
自分よりも幸せで上の立場にいると思っている人が、不幸になって自分のポジションまで落ちてきたことに対して喜んだり、自分よりも下のポジションに落ちることによって「自分はまだマシ」と思うのだそうです。
「シャーデンフロイデ」を利用したドラマはヒットしやすい
昔から、主人公が恨みを返したり、悪人が成敗されるドラマはヒットしやすいという傾向があるようです。古くは「水戸黄門」や「必殺仕事人」などの時代劇や、新しいところでは「半沢直樹」など。
視聴者は、自分が持っている「恨み」や「妬み」「嫉妬」とは関係ないことを理解しながらも、普段から抱えている理不尽なストレスをドラマに出てくる悪人に移し替え、それが成敗される状況でスッと気が晴れる気になれているのだそうです。
他人の不幸を喜ぶというのは、何か不健康な感じがしますが、直接的に対象に「仕返し」をするよりは、まだマシな「恨みの晴らし方」なのかもしれません。
まとめ
仏教では、「怒り」という感情は自分が生み出しているものであると考えます。外的要因に対して、「怒る」と決めたのは自分だ。それなのに外的要因に悪意を持つのはおかしいと説いています。
本来、生きるということは思い通りにならないものだという考えなのですから、恨んだり、嫉妬したり、妬んだりすること自体間違いだというのです。
もしかしたら、これが究極の「正しい恨みの晴らし方」なのかもしれません。
それではまた、see you!
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